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ルイ11世 (フランス王) : ミニ英和和英辞書
ルイ11世 (フランス王)[るい11せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ルイ11世 (フランス王) : ウィキペディア日本語版
ルイ11世 (フランス王)[るい11せい]

ルイ11世Louis XI, 1423年7月3日 - 1483年8月30日)は、フランスヴァロワ朝(在位:1461年 - 1483年)。慎重王(le Prudent)と呼ばれる。
== 事績 ==
シャルル7世ヴァロワ=アンジュー家マリー・ダンジューとの子として、ブールジュに生まれる。その敵たちには忌み嫌われて、「遍在する蜘蛛」(l'universelle araigne)という奇妙なあだ名を付けられていた。その陰謀は父シャルルへも発揮され、何度も父王の退位を謀ったが失敗した。1436年スコットランド王ジェームズ1世の娘マーガレットと結婚し、この結婚によりブリテン島の政治に関心を持つ。大陸での強敵ブルゴーニュ公国薔薇戦争ではヨーク家を支持していたため、対抗措置としてランカスター家出身の王ヘンリー6世を復帰させるべく策動した。マーガレットは王に顧みられなかったため、詩作に短い生涯を捧げた。彼女の死後1451年に、ルイは8歳のシャルロット・ド・サヴォワと政略結婚を行う。
1461年の即位以来ルイは、近隣の大諸侯の権力を減殺するのに余念がなかった。ブルゴーニュ公シャルルを相手に1467年から1477年までの10年間は、権謀術数の限りをつくして戦った。敵地に軍隊を連れずに乗りこみ、ペロンヌ城で勇胆公シャルルと和議を進めながら、公の支配下にあるリエージュに反乱を起こさせようとして失敗し、かえってシャルルの捕虜になったこともある。ブルゴーニュ公の家臣であったが、ルイ11世に敬服し、後に彼の腹心となった年代記作者フィリップ・ド・コミーヌは、この間のルイの行動について冷静で率直な説明を提供している。
ブルゴーニュが中心となった〈公益同盟〉とは3度戦闘を行い、そのたびに王軍は圧倒されたにもかかわらず、スイス軍と同盟してグランソンとモラで勝利を収める。1477年にナンシーの戦いで勇胆公シャルルが戦死した後、1482年のアラス条約でブルゴーニュの大半を獲得し、さらにアンジューメーヌプロヴァンスなどを併せて、フランス王国の支配基盤を定めた。1472年教皇ピウス2世とアンボワーズの協約を締結したことにより、フランス国王に国内の聖職禄授与の権利が認められ、その後のガリカニスム発展のきっかけとなる。
死後、オルレアン近郊のの僧会教会に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイ11世 (フランス王)」の詳細全文を読む




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